戦闘服は蝶の夢を見る
1分間に15回。90分で1350回。彼はピッチの側で瞬きをする。その間、拳を突き上げたかと思えば次の瞬間には鬼の形相で怒りを顕わにする。彼にできることは、瞬きすることと感情をむきだしにすることだけである。
彼の名はクロップ。ピッチの側に立つあいだ、彼は孤独な世界にいる。ロックドインシンドロームになってしまったドミニクのように。
潜水服は蝶の夢をみる
ドミニクとは、映画「潜水服は蝶の夢をみる」のことである。彼は事故の影響で、左目で瞬きすることしかできなくなった。そんな状況になり、何度も「絶望した」と言いながら、言語療法士と二人三脚で意思を伝える方法を修得したひとである。そして、雑誌編集者だった職歴も活かして、ユーモアとウィットに富んだ本を書いてしまった。
どうしてドミニクにそんなことができたのか?そのカギは、どんな困難な状況でもありのまま受け入れて人生と立ち向かう彼のその態度にあるとおもう。
自分の価値を信じるということ
ドミニクの生き様をみて思い出されるのが、ヴィクトール・フランクルの態度価値の話だ。
態度価値とは、なんだろうか。「態度価値とは、人間が運命を受け止める態度によって実現される価値である。病や貧困やその他様々な苦痛の前で活動の自由(創造価値)を奪われ、楽しみ(体験価値)が奪われたとしても、その運命を受け止める態度を決める自由が人間に残されている。フランクルはアウシュビッツという極限の状況の中にあっても、人間らしい尊厳のある態度を取り続けた人がいたことを体験した。フランクルは人間が最後まで実現しうる価値として態度価値を重視するのである。」(ウィキペディアより)
ドミニクは、活動の自由(創造価値)を失い、楽しみ(体験価値)まで失った。その状況でも、態度価値は失うことなく、瞬きだけで意思を伝えて本を書くという、新たな創造価値を手にした。そして、彼は自分の価値を信じて生きている。
ファンに価値を信じさせるクロップ
リバプールがCL決勝で負けた夜、ファンは失意の底にあった。クロップも同じ想いだったはずである。
しかし、クロップは、次の日の早朝に、サポーターと肩を組んで歌を歌った。失意に打ちひしがれて何もやる気がしなくてもおかしくないのに、サポーターといっしょに歌って周りを笑顔にした。そこには、だれとでも分け隔てなく接するクロップの姿があった。失意のなかにあってもクロップらしさを失うことなく、態度価値を失わなかったのである。
置かれ状況こそ違えど、自分たちの価値を見失わなかったふたり。
ドミニクは本を書くという新しい夢の中を生きた。果たして、クロップはどんな夢の中を生きるだろうか。
戦闘服は蝶の夢をみる
1分間に15回。90分で1350回。38試合で51300回。クロップは、今シーズンも瞬きをして、夢をみる。その夢は、クロップの後ろで、あるいはモニターの向こう側で、同じ数だけ瞬きをしているファンが29年待ち焦がれている夢でもある。
赤い戦闘服を着て、自分の価値を信じるひとと同じ夢をみる。リバプールファンの特権である。
マーサが走ればガリレオは回る
ビートルズの「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」は、ポールの飼い犬「マーサ」と科学者「ガリレオ」をヒントにして書かれたという。その曲を何度も聴き返すうちに、「ザ・フール」が「三年寝太郎」の姿にダブるようになった。
三年寝太郎
干ばつに苦しむ村に、周囲の怒りを買いながらも仕事をせず、3年3カ月にわたって眠り続ける男がいた。その男がある日突然起きだして、山に登って巨石を動かし、その巨石で川をせき止めて流れを変え、村の田畑に川の水をひきいれて、村の窮地を救った。
この話の主人公である寝太郎は、ただ単に寝ていたのではなく、村の窮地を救う方法をひたすら試案していたのであった。周囲からどう思われるかということには目もくれず、ただ自分のなすべきことに集中していたというわけである。
ガリレオ
ガリレオは、物理や天文の研究では天才的だったものの、世渡りが下手で敵を多く作ってしまい、地動説を理由に異端審問にかけられてしまったひとである。
異端児
三年寝太郎もガリレオも、世渡り上手な人から見れば、変わり者でバカにしか見えなかったのだろう。しかし、三年寝太郎もガリレオも、周囲の目を気にすることなく、己のやるべきことを見失わなかった。
それでも地球はまわっている
飼い犬のマーサは、同じところを飽きもせず、グルグルと回っている。三年寝太郎も、ガリレオも、自分たちで作った道をグルグルと回っている。そうやって、地球はまわっている。そうやってまわっている地球を眺めているうちに、今日も日が暮れていく。
マーサが走ればガリレオは回る
❝身体の内側には小宇宙があって、中心に「ガリレオ」という小さな天体がある❞という想像をしてみる。その小宇宙には、「ガリレオ」の周りを飽きることもなくグルグルと回る「マーサ」がいる。そして、「ガリレオ」も「マーサ」と連動して回り始める。
どうやら「ザ・フール・オン・ザ・ヒル」の世界に迷い込んだみたいだ。
”アイルランド”が足りない
アイルランドは、またしてもプレーオフで敗れて、2018年のサッカーW杯に出場することは叶わなかった。
2002年の日韓W杯で、ロイ・キーンが大会直前にチームを去る事件がありながらベスト16に進出したアイルランド。スペインにPK戦で敗れたものの、「勇敢な敗者」と評される戦いぶりで好印象を抱いていた。
今回もひそかに期待していたのだが、デンマークと比べるとタレントがいないことを露呈するプレーオフの結果になってしまった。
タレント揃いだった2002年の代表
2002年のアイルランド代表のメンバーを改めて振り返ってみよう。ロイ・キーン抜きでもなかなかのタレント揃いである。
GKには、全盛期のシェイ・ギブン。CBを元リバプールのストーントンとウィンブルドンのカニンガムが固めて、サイドバックが当時”イケイケ”だったリーズのハートとケリー。中盤には、イプスウィッチの躍進を支えたホランドに、これまたチャールトンの躍進を支えたキンセラ。左サイドには、ブラックバーンで売り出し中だったダミアン・ダフがいて、右サイドが元リバプールのジェイソン・マカティア。ツートップは、ナイアル・クインとロビー・キーンの凸凹コンビ。
オランダとポルトガルと同組だったW杯予選を勝ち抜いたのも納得できる、充実した陣容だったのである。
一晩中歌い続けたアイルランドファン
アイルランドには歌と酒が欠かせない。それを物語る印象的なエピソードがある。W杯の実況をされていた倉敷さんが、たまたまアイルランドのファンの隣の部屋に泊まってしまったときのことである。アイルランドのファンが酒を飲んで大声で一晩中歌い続けたために、倉敷さんは寝かせてもらえなかったそうである。それだけでも驚きだが、彼らは一晩中歌い続けてもネタが尽きないほど歌のレパートリーが豊富だったというから驚きである。
最後のワンピースになれなかったロビー・キーン
2002年のW杯、トッテナムで活躍して2008年にリバプールへと移籍したロビー・キーンは、リバプールに足りなかった”最後のワンピース”だと言われた。選手としての能力だけでなく、ロビー・キーンのバックグラウンドも相まって、”最後のワンピース”という期待のされ方をしたのではないかと思う。ロビー・キーンが活躍して、アイルランドの熱心なファンの歌声がアンフィールドを活気づける、そういう思いが”最後のワンピース”という言葉に込められていたのではないか。
”アイルランド”が足りない
”アイルランド”の歌声に魅了されてしまった身としては、”アイルランド”の歌声が聞こえないスタジアムが気の抜けたビールのように感じてしまう。
またどこかで”アイルランド”の歌声が鳴り響くスタジアムに出会えるといいのだけれど。できれば、今度はアンフィールドで!!
Once a Red, always a Red!
リバプール以外の試合は「マッチ・オブ・ザ・デイ」でチェックすることが多いのだが、その「マッチ・オブ・ザ・デイ」で度々フォーカスされている元レッズのジョンジョ・シェルベイについて少し書いてみたい。
ときに顔を出す悪魔の部分
ジョンジョ・シェルベイのリバプール時代のハイライトと言えば、マンU戦で退場処分を受けたときにサー・アレックスを挑発ようなジェスチャーをしたシーンを思い出すひとも多いのではないかと思う。あの場面に象徴されるように、ジョンジョは試合中に自身の感情を上手くコントロールできずに試合を壊してしまうような反則をすることが度々あった。今シーズンの開幕戦でも、スパーズのデレ・アリをわざと踏みつけて一発退場している。ジョンジョは以前と変わらないなぁと思っていたのだが、、。
チームのために献身的に走る姿
その後、開幕戦のプレーを反省したのか、感情を上手くコントロールできないという以前から抱えた課題を解決すべく、ジョンジョは努力しているという。個人でスポーツ心理学の専門家を雇って、メンタルの改善に努めているのだそうだ。
その成果が現れたのか、古巣のリバプール戦では、彼の特長である非凡なパスセンスを披露するだけでなく、ニューカッスルのために献身的にプレーするジョンジョの姿があった。
一度リバプールに染まれば、ずっとリバプールの選手
リバプールではイマイチ活躍出来なかったジョンジョのような選手が他のチームで活躍するのを観るのも、うれしいものである。イタリアのラツィオでは、リバプールで出場機会すらなかったルイス・アルベルトが頑張っているし、同じチームには、もちろんルーカス・レイバもいる。
元レッズの選手を追いかける楽しみも、リバプールファンにはあると思う。一度リバプールに染まった選手は、ずっとリバプールの選手なのだから。
左利き
サッカーを観るとき、どうしても左利きの選手に目がいってしまう。左利きは矯正するのが当たり前の時代に育ったボクにとって、矯正とは無縁の左足を自在に扱う左利きのサッカー選手は憧れの的なのだ。
利き手
最近では、左利きを矯正すると吃音になるという理由で、「保育園では左利きの子供にはそのまま左手で鉛筆や箸を持つように教える」なんて話もあるようだ。自分の利き手を自由に使えるなんて、うらやましい限りだ。利き手でない右手で鉛筆や箸を持つように教えられ、右手でキャッチボールする練習までさせられたボクのような子供には、利き手を自由に使えるという世界が夢のように思える。
利き足
利き手の使い方が制限される左利きにとって、利き足を自由に使えるサッカーに興味をもつことは、ある意味で自然なことかもしれない。利き手が使えない反動からなのか、頑ななまでに左足しか使わない左利きも多い。
左利きのサッカー選手
野球に比べてサッカーの方が、左利きの選手のできるポジションに制限がない。だからといってフィールドプレーヤーの左利きの選手が多過ぎると、チームのバランスが悪くなってしまうことが多い。チームのバランスを考えると、フィールドプレーヤーの内の2人か3人が左利きというのが妥当だろう。
リバプールの左利きの選手
リバプールの左利きの選手を振り返ってみると、ケガに泣かされた選手が多い。大きなケガをせずにキャリアを過ごせたのはリーセくらいではないか?ベルガ―、アッガー、ファビオ・アウレリオ、エンリケ。ケガさえなければ、リバプールでもっと活躍できた選手ばかりである。
とくに、エンリケは移籍してきた当初のパフォーマンスが印象的だっただけに残念である。相手と競り合いの場面で、体をぶつけられても両足で踏ん張ってボールをキープするシーンが多く、相手のぶつかる衝撃と自分の体重を両膝で支えるようなかたちになってしまうことが多かった。そのために、膝に負担がかかりすぎて大けがを負い、キャリアの大半をリハビリに費やす羽目になった。相手と競ったときに、うまく受け身をとりながら倒れる術を身につけていれば、違ったキャリアを過ごせたかもしれない。
アルベルト・モレーノとモハメド・サラ―
チームの成績がパッとしない今シーズンのリバプールのなかにあって、モレーノとサラ―、この二人の左利きはよくやっている。
モレーノは、自身の気持ちの強さを証明するかように、攻守によく走り回っている。後先を考えずに、「とりあえず両足でタックルしてみました」みたいな危険なタックルもしなくなり、プレーに安定感が出てきた。
サラ―はチーム最多の得点を決めていて期待通りの活躍をしている。しかし、どうしても決めきれなかった決定機が多い印象を拭えない。
調子がいいと無理がきいてしまうので、ケガにつながりやすい。二人ともケガには注意してプレーしてもらいたい。
左ききは「救世主」!?
左利きの人は右利きの人に比べて空間認識度が高いという研究データもあるらしい。リバプールの窮地を救うのは、左利きの選手かもしれない。これまでほとんど活躍していないダニエル・スタリッジさん、出番ですよ!!
リバプドリアンの憂鬱
あるリバプールファンの憂鬱な日常を綴りたい。
リバプドリアンの憂鬱
リバプールファンは、リーグ戦で取り損ねた勝ち点に比例するように、憂鬱な気分で落ち込む。勝ち点を取りこぼす度に頭をよぎる、「今シーズンもリーグタイトルは無理なのか」という思い。それを振り払うようにして、気合を入れて家を出る、月曜の朝。リバプールファンのブルーマンデーである。
試合前がいちばん幸せ
試合に勝ったあとは幸せに間違いない。だが、試合の展開を予想する楽しみが味わえる試合前が、ある意味でいちばん幸せなのである。
Krafty
ニュー・オーダーの「Krafty」は、「毎朝、憂鬱抱きしめて」という歌詞で始まる。同じように、リバプールファンも毎朝憂鬱を抱きしめて、月曜の朝を迎える。そして、「毎朝、憂鬱抱きしめ」ながらも、「自分だけじゃないクラブの未来」に希望を託して、週末にチームを応援する。
"憂鬱亭"日乗
リバプールの試合のあとに一週間が始まり、リバプールの試合で一週間が終わる。そんな変哲のない日常の積み重ねを経て、リバプールというクラブの小宇宙は満たされていく。